日曜の空気はゆっくりしてて好きだ。
連休の夕方はもっと好き。
ゴールデンウィーク中の下町の空気なんてもう、時間が止まってるんじゃないかと思うくらい。
でもね…カレンダーの休みは関係ないオイラ
観光、レジャー、サービス業に関わる人は忙しい土曜日曜、GW、お盆、年末年始…
オイラもそんな業界の中にいるけれど、空気を感じるのは大切。
自分が相手をする人、物、事を知る。相手の空気を感じる。
空気を感じて動く。「空気を読む」って言葉があるけど、それはなんか小さい姑息なことをするように思えて嫌だ。
だから感じることができる人と一緒にいるのはいい。読む人といるのは疲れる。
読む人も疲れるだろうね。
仕事も同じ、他者との関わりがある中では感じて動ける人はどこでも重宝がられる。
雇われ者同士フラットなはずだけど、やってることも同じなはずだけど違いが出る。
単純労働でもそう、見える人は見える。
必ずしも見えるわけじゃない、「見てる人は見てる」じゃなく「見える人は見える」んです。
方法も結果も同じ単純労働で何が違うのか?
取り組み方かな。
物を大切にする、人を大切にする、時間を大切にする。
雇われの単純労働の楽さ、言われた事だけやればいい簡単さ、その中でも人には違いがある。
とりあえず現金収入のために雇われ仕事 単純労働に身をおく事もよし。
全く頭を使わないなんてことはあり得ないから
自分の目の前のことを良くしよう簡単にわかりやすくしようと取り組む。
それはいつでも同じだ。
じゃあ雇われ仕事と自分の仕事で何が違うのか…
雇い主のために働くのではない、その仕事組織のために働くのではない。
自分のためお金のために働くのに、何故か会社のために働くこと他人のために働くことがいいことだとされている。
そんなの嘘だろ。
聖人じゃないんだから。
つまり、自分の仕事をする楽しさを奪われ飼いならされてる人が多いってことが言いたい。
自分の生活を作る楽しさを知らないまま育ち、うすうす感じてわかってるような人もまた実は飼いならされている。
行動している人への憧れの気持ちもまた上手く消費社会の中に取り込まれ…
「意識が高い」なんて言葉もあるくらい。そんな言葉いらない。
いろんな空気を感じて、その時その時その場その場で動ける。
それがたまたま他人のためになったり、会社のため地域のためになったりするくらいでいい。
本当に他人のために働ける?
たとえばこの街が 僕を欲しがっても
今すぐ出かけよう 日曜日よりの使者